13 心理学はセックスを理解しているか はじめに 「80歳の私はこれからどうしていけばいい のだろう」。セックスについてのインタビュー 後,ある男性が真剣かつお茶目な表情でつぶや いた。セックスを考えることは,自分を掘り下 げ,未来を考えることにつながる。 「高齢者とセックス」は,奥が深く広がりの あるテーマである。恋愛や芸術,犯罪や病気と も関係がある。高齢者が生きてきた人生の,夢 のように素晴らしいことも,身を焦がすような 過酷なことも,それによって起こった可能性が ある。セックスやセクシュアリティに関する出 来事は,高齢者の健康,幸福感,QOLに決定 的な影響を与えることがある。高齢者は過去を 生きる人ではない。セックスによる影響は,こ れまでのように,これからも高齢者の人生に及 ぶ可能性がある。性について語ることは,社会 的にタブー視されるが,特に高齢者のセックス を語ることには,否定的な考えや固定観念が強 くつきまとう。高齢者の人生や生活に大きな 影響を与えているにもかかわらず,「高齢者と セックス」は,表だってとりあげられることが 少ない。 フォーカスグループ ところで,私はセックスの専門家ではない。 臨床心理学の立場から高齢者に関わってきたこ とから執筆依頼を頂いたのだと思う。新しい テーマを頂き,「高齢者とセックス」をテーマ にフォーカスグループを行うこととした。今 回の協力者は男性5人,平均年齢74.7歳(60 〜 80歳)であった。研究協力同意書に署名を得 て,レコーダーで録音,逐語録をおこし,分析 した。ここではその一端を紹介する。 浮かび上がってきた主なテーマは,三つに分 類された。 ①若いときと比較した変化 ②自分にとってのセックスの意味 ③パートナーや他者との関係 ①若いときと比較した変化 「当然ですね,まあ回数とか」 「体力の衰えはある」 「自分は自分を老人とは思っていない。年齢に よって変わらない」 「集まってエロばなしはしなくなった。高校生の 時はよくしていた」 「年とっても,三度の飯より好きな人もいれば, あっさり手を引いてしまう人も」 「お茶を飲んだり,ごはんを食べたり,そこまで のプロセスが面倒」 「セックスは飽きた。やり過ぎたってだけ。そろ そろ復活しようかなと思うけど」 「若い頃は行為そのもの,年をとると『言葉』が 大事」 高齢になるとセックスの頻度が減るという データは万国共通だが,セックスに対する意識 や希望の男女差,そこから生じるギャップを無
高齢者とセックス
慶成会老年学研究所 所長黒川由紀子
(くろかわ ゆきこ) Profile─黒川由紀子 東京大学教育学部卒業。上智大学大学院博士課程満期退学。保健学博士(東京大 学)。臨床心理士。お茶の水女子大学学生相談室,東京大学医学部精神医学教室 助手,大正大学教授,上智大学総合人間科学部教授などを歴任。上智大学名誉教 授。専門は老年心理学,臨床心理学。著書は『回想法』(誠信書房),『高齢者と心理臨床』(誠信書房),『老いを 生きる,老いに学ぶこころ』(共著,創元社),『いちばん未来のアイデアブック』(共編,木楽舎)など。14 視することはできない。荒木乳根子氏の「中 高年のセクシュアリティ調査」(日本性科学セ クシュアリティ研究会,2012調査)によると, 60歳以上の有配偶男性の半数以上は,妻との 性交渉や愛撫などの性交を望んでおり,女性の 約8割が,夫からの精神的な愛情やいたわりの みを求めていることが示された。高齢者とセッ クスに関する男女間の大きな差の表れとして, 「夫の誘いが煩わしい。妻だから応えろと言わ れるのが苦痛」といった,男性からの性行為の 要求を女性が躊躇,拒否するパターンは昔から 存在した。フォーカスグループの男性の中に, 女性をセックスに誘うプロセス,お茶を飲んだ りごはんを食べたりすることが面倒という人が いた。一般に,女性はお茶を飲んだり,ごはん を食べたり,言葉を交わす時を楽しむ。ここに も男女のずれがある。若い頃にセックスを「や り過ぎて飽きた」人も,飽きっぱなしでは終わ らないようだ。そろそろ「復活」を考えている という。年をとっても波があるようだ。 ②あなたにとって,セックスの意味は? 「昔は『産めよ,増やせよ』って」 「子どもを作ることが自分たちの楽しみでなく, 国家のためという価値」 「本来,セックスは生物の本能,命ある限り持ち 続ける」 「手を触れ合ったりして,相互信頼,安心感があ る」 「抱きしめると安心」 「セックスできなくなると,目で楽しむ。街でき れいな女の子見て」 戦争の時代を生きた高齢者は,セックスをし て子どもを増やすことが国民の務めという考え が,今もしみこんでいるようだ。国家の繁栄の ための子作りが奨励され,セックスはそのため のものだった。「自分の人生が自分のもの」で あることが当たり前の今は幸せな時代だ。国家 を意識してセックスに励んだ男性は,「子ども が3人できたのでもういいかな」と思ったそう だ。セックスにおいては性行為そのものより 「触れ合いが大事」との語りは多い。高齢者と 言えば「触れてあげましょう」などと十把一絡 げに奨励することは控えるべきだが,触れ合い を求める人にとっては,触れ合いは安心感を育 み,命や心をつなぐ。触れ合いは求めず,街で 見かけた若い人を「目で楽しむ」ことに喜びを 見いだす高齢者もいる。 ③パートナーや他者との関係は? 「昔はかみさんが枕持って逃げてたけど,今はか みさんが枕持って追っかけてくる」 「妻は家族,家族とはセックスできない。近親相 姦になっちゃう。妻には家族愛」 「互いに大事に年とって終わりたい。大声でけん かはしたくない」 「年中けんかしてたけど,子ども 3 人つくってく れたって,見方が変わった」 「元妻とランチする。セックスはしない」 「自分の過去を知っている人は懐かしい。子ども の頃の体験を話せる」 「時の積み重ねが出てくると,自分のことを知っ てくれているのかと」 夫婦や家族のあり方は多様だ。均質な家族規 範が強かった時代を生きた高齢者も,さまざま な分かれ道を経験している。配偶者とのセッ クスを重視する人もいれば,「妻とのセックス は近親相姦」と言ってのける人もいる。一方, パートナーと50年以上もの時を共有し,幾千 万のけんかをはさみ,互いを尊重し労りあう気 持ちが新たに生じる人もいる。高齢者の中に は,子ども時代や過去の思い出を再体験するこ とから,親密な関係になり,セックスに至る例 がある。パートナーや友達と,子ども時代の体 験を語ることから生まれる深いつながりの感覚 は,子ども時代の体験やそれを回想する行為 が,老年期になり一層意味を増すことのあらわ れでもある。 セックスについて話してみて 最後に,セックスについて話すことについて のコメントをまとめた。
15 心理学はセックスを理解しているか 「来るの,やめようと思ったけれど,人前で話す ことないし,話してすっきりした」 「色々な集まりがあってもセックスの話はしな い。こんなにしゃべるとは思わなかった」 「一緒に話した仲間は戦友」 「普段できない話ができていい機会だった」 「真っ昼間のこんな時間に核心をついたような話 ができたのは初めてです」 「あらためてセックス,まじめに考えたのはいい 機会だと思った」 「高齢者とセックス」をテーマにしたフォー カスグループで,参加者の姿勢は驚くほどオー プンだった。フォーカスグループに参加した感 想は,「話ができて良かった」「戦友みたい」と 親密さが増したことを示唆するものが多かっ た。人前で語ることの少ない特殊なテーマが, 自分をふりかえり,未来を考える契機となった ようだ。「このメンバーで,夜また会って呑も う」との提案でお開きとなった。今後は,女性 グループや男女混合グループへのインタビュー も試みたい。 WHO による性の健康 WHOによると,性の健康(sexual health) とは,性に関して身体的,情緒的,精神的,社 会的に良好な状態と定義されている。高齢者と セックスに関する学術論文は,米国や英国の高 齢者を対象に,セックスが健康の文脈で論じ られるものが多い。日本の高齢者を対象とし, セックスを健康の文脈で捉える研究は限られて いる。 西洋文化では,セックスは「健康」であるた めの大切なファクターであるとの認識に対し, 東洋文化では,セックスは恥ずかしくタブーで あると認識されることが多いのはなぜなのだ ろうか。「セックス」のオープンさの程度は, 国や文化によって異なる。今後は,日本でも, セックスを健康の文脈で捉える研究が増加する のだろうか。 もっとも江戸時代の浮世絵,春画には,世界 があっと驚くようなリアルな「セックス」場面 が多く登場する。アートの世界では,「セック ス」へのタブー視に対する挑戦が行われてい た。 セックスは高齢者の権利 「高齢者とセックス」をタブー視せず,高齢 者の権利として,オープンに取り組む施設が あ る(New York Times, 2016)。 ア メ リ カ の ニューヨーク州にある老人ホーム「ヘブライ・ ホーム(Hebrew Home)」である。この施設 では入居者同士の恋愛を奨励し,「性表現ポリ シ ー(sexual expression policy)」 を 掲 げ る。 高齢者が性生活を送る権利を種々の方法でサ ポートしている。870名の入居者のうち,40名 が恋愛関係を楽しんでいるという。施設側は 恋愛をしたい入居者に積極的なサポートをし, 「G-Date(Grandparent Date)」との出会い系 サービスや,ダンスパーティーなどを定期的に 開催している。さらに,性感染症を防ぐため避 妊具を配り,施設内で自由にセックスができる よう配慮している。ヘブライ・ホームを経営す るダニエル・レインゴールド氏によると,性表 現ポリシーを掲げることは,高齢者の権利を守 るだけでなく,高齢者ケアにあたるスタッフに 対し,分かりやすいガイドラインを示すために 高齢者とセックス
16 も重要であるという。スタッフは,業務外のこ とでやらなければならないことが増えるが,入 居者の恋愛や人との出会いをサポートすること を心から喜び,楽しむ。今後,セックスに対し, 自由でオープンな考え方や体験を持つ世代が高 齢化することを考えると,この取り組みは示唆 に富む。 高齢者とセックスをめぐる今後の課題 ─ ヘルスプロモーションの必要性 今後は,高齢者とセックスをめぐり,「ヘル スプロモーション」という視点からの性教育の 普及が求められる。高齢者の中には「生殖」と いう役割を終えた認識から,避妊具などを使用 せずに性交渉を行う確率が高いため,性感染症 などの知識を普及することが求められる。高 齢者はセックスに関する悩みを「恥」と感じ, 偏見を恐れ,生殖器官の衰退や性病に対する 治療が遅れることが珍しくはない。したがっ て,「高齢者とセックス」に関する知識[例: ED(勃起不全),hypogonadism(性腺機能不 全症),FSD(女性性機能障害),それらの予防 法など]を共有し,高齢者がセックスの悩みを 相談できる外部機関へのアクセス情報を提供す ることが必要となる。 HIVを専門とする臨床心理士によれば,HIV 予防にコンドーム使用を推奨する動きがある が,これに反発する団体が「性欲を抑えるこ とが大事」と抗議してきたことがあったとい う。欲望が悪,欲望を抑えることが善といって も,「性欲を抑えさせる」ことは,「食欲を抑え させる」ことに近い。コンドームを使用せずに セックスすれば,HIVや性感染症の拡大のみな らず格差や貧困問題につながる(矢永, 2017)。 高齢者のHIV感染者は増加している。性感染 症予防の点から,コンドームの使用が推奨され るべきだろう。高齢者と関わるスタッフの中に は,性的欲求をダイレクトに向けられて困惑す る人もいる。すべて受け入れるわけにはいかな い。高齢者の性的欲望や性的行動をどのように 捉え,どのように対応するか,今後重要な課題 として議論を深めるべきである。 おわりに あなたは,恋する認知症の人に会ったことが あるだろうか。昨今,恋する認知症の人が,恋 愛を経てセックスに至る例が少なくない。セッ クスの周辺には,種々の課題があるが,誰かを 好きになり,一緒にいたいと思い,触れたいと 切望し,セックスに至る。若年であれば,至っ て健康なナチュラルプロセスと捉えられる。高 齢者は生殖のためにセックスをしない。人間が 生殖のためにセックスをしない希有な生物であ るとすれば,高齢者が妊娠を目的としないセッ クスをすることは,人間のセックスを象徴する 行為ともいえる。どの年齢層においてもセック スは,人生に喜びや豊かさを加えると同時に, 哀しみや絶望に陥れる可能性がある。セックス の二律背反を生きるのは,他の年齢層も高齢者 も同じである。 高齢者とセックスのテーマは,人間が生きる こと,死ぬこと,かけがえのない人との関係を 映す鏡である。 文 献 荒木乳根子(2012, 2014)セクシュアリティ研究会:中 高年セクシュアリティ調査特集号.『日本性科学会雑 誌』32, 81.
Basson, R.(2001)Using a different model for female sexual response to address women’s problematic low sexual desire. Journal of Sex and Marital Therapy, 27, 395-403.
HIV 検査完全ガイド.http://www.hiv-support.com/ Hu, W.(2016, July 12)Too old for sex? Not at this
nursing home. The New York Times. Retrieved from https://www.nytimes.com 坂爪真吾(2017)『セックスと超高齢社会:「老後の性」 と向き合う』 NHK 出版新書 内野英幸(2005)高齢者における性と健康.『老年精神 医学雑誌』16, 1225-1231. 矢永由里子(2017)personal communication